・文字制限1000字以内(ブログ投稿用の改変で1000字はオーバー)
・「コロナ」という単語を文中で2回以上使う
やや混みの東西線を早稲田から3駅、ヘルプマークのついた鞄に杖をついて棒立ちでいなければならないとしても、東西線を通勤の足に使えることは自分の中で誇りに思っていたので全然嫌ではなかった。九段下から都営新宿線への乗り換えで優先席が空いていることを祈る毎日であっても東京の中心である日本橋で働けることを嬉しく思っていたので、この日常が続いて欲しいと切に願った。新宿駅から都庁まで歩くのも大好きだった。雨の日も晴れの日もコンディションの変わらない地下道。そこを歩いていく都政を回しているきらきらした人たちのことが好きだった。
しかし、2020年から続くこのコロナ禍の中で-このコロナ禍が永遠に、できるだけ長く続くことを祈った。
容姿が人より劣っていることを、姿勢がおかしいことを笑われることのない生活。通勤で苦労することもない。家事をこなしながらテレワークで仕事ができる。何か欲しいと思えばamazonがあって、古書でさえも郵送で届く。狭い部屋で人に囲まれて何か失態をしないかと緊張しながら観ていた演劇もイベントもネットですべて済ませられる。何より自分には最高の娯楽、アニメがある。
ネット演劇がどれも自分に合わず演劇を生で観に行きたいと思ってから、羽田の飛行ルート改訂でテレワーク中に自宅の上を飛行機が頻繁に低空を飛んでいることに気づいてから騒音が気になり出し何も手につかなくなって、毎日ぼーっとしながら日々生活を送っているうちに外に出たいと思い始めた-このコロナ禍が少しでも早く終わることを願った。
自転車で西武新宿駅まで出て、新宿の街をウインドーショッピングしたい。会社帰りに神保町で古書店巡りがしたい。観たかったアニメ映画もいくつ我慢したことだろう。深夜まで新宿で飲み明かし、誰もいない戸山公園を通って歩いて帰りたい。コワークがないと資格の勉強もちっとも捗らない。
このコロナ禍が永遠に続いて欲しい気持ちと終わって欲しい気持ちはどちらも共存しているが、コロナ禍はいつか終わる。このコロナ禍が終わったとき自分は何を思うのだろう。ひとつ言えるのは自分に優しいニューノーマルを求めているのであってコロナ以前の生活が戻ってくることを願っているのではないということだ。そうなってしまったら人類が、自分がコロナ禍を経験したことそれ自体に意味が無くなってしまう。色んなことを諦めなければならなかった気持ちが元の生活が戻ってくることを許さない。